寿命

今日は明日からの、長い旅路の前の用事を済ませる為にバスに乗って出かけました。

 

今日もニ昔前くらい前のお嬢さん方が10人ほど乗車しておられました。

大体80歳ちょっと前の方が多かったように思います。

 

先日からバスに乗って、ふと気がついたのですが、よく見ると毎回じいちゃんがまったくいないのです。

バスの中は、ばあちゃんだらけなのです。

 

じいちゃんはどこに行ったのでしょう。

そう言うと、お前がそこにいるじゃないかと、いわれそうですが・・・

そうです、よく考えると自分もじいちゃんでした。

後、3ケ月で63歳です。

人は自分の事はわかりません。

その見本でした。

 

先日、友人と、この事を話したら、彼も以前からその事は気がついていたらしく、商店街でもじいちゃんがいないと言っていました。

どこもかしこも、ばあちゃんばかりです。

 

結局、じいちゃんは家の中で引きこもり、ばあちゃんは積極的に外へ出て行くのだろうという、あくまで推測ですが、そこのところに落ち着きました。

 

じいちゃんは山へ芝刈りに、ばあちゃんは川へせんたくにという、昔話とはちょっと事情が変わってきたようです。

 

昔とちがって現代は、歳をとると女性の方がパワフルなのでしょうか?

 

みなさんの、周囲はいかがですか?

 

昨日、奥さんが53歳という若さで逝去されたという話を書きましたが、実はそのご主人は4年ほど前に脳出血のため救急搬送され、緊急手術を受けたのだそうです。

 

集中治療室でベッドに寝ていると枕元で主治医と奥さんの会話が聞こえてきて、(奥さん、

ご主人は今夜が峠です)という、主治医の言葉がはっきりと耳に入ってきたそうです。

 

その時、ご主人は「あー、これで俺は死ぬんだなー」と、死を覚悟したそうです。

 

しかし、運良くその死線をくぐりぬけ全快したそうですが、その喜びもつかのま

今度は胃がんが襲ってきたそうです。

しかし、これも胃の全摘で乗り越え今日まできたそうですが、今度は奥さんがガンで帰らぬ人になってしまいました。

 

生きていれば明日の事などわかりません。

 

今日、テレビで往年の二枚目俳優、池辺良さんのお別れ会のニュースをやっていました、

92歳の大往生だったそうです。

 

どうやったら、そんなに長生きできるのでしょうね???

 

これこそ、まさに神のみぞ知るという事でしょうか。

 

以前、私の知人がインドのアガスティアの葉に行き将来を見てもらったところ、78歳で

他界するという結果が出たそうです。

 

では又。

直方の街

本日は、18500歩、歩いてきました。

浦田劇場も本日でフィナーレです。
そろそろ、お出かけの時刻がせまってまいりました。

もう12月、光陰矢の如し、あっという間に時が過ぎ、又ひとつ歳を重ねます。

「門松は冥土の旅の一里塚」という言葉がありますが、正月を迎える度に残りの方が徐々に少なくなってくるという、現実が目前にせまってきて、その事を受け入れざるを得ない年齢になってまいりました。

奥さんが亡くなったという喪中のハガキをいただいた知り合いのところに、昨日行ってきました。

S字結腸にスキルス性のガンが出来、自覚症状が出た時はすでに末期であっという間の旅立ちだったそうです。

享年53歳、あまりにも早すぎます。

さて、本日は我が家の近くのローカル線、天道(てんとう)駅を出発し飯塚市の隣、大関魁皇関の出身地、直方市(のおがたし)へ、約1時間電車にゆられて到着、駅を降りてちょうどお昼時でもあり駅前の商店街で腹ごしらえと思いきや、写真の状況です。

約20年ぶりに訪れた街がこの惨憺たる状況に目を疑い言葉を失いました。
あまりの変貌振りに信じがたく、まるで夢を見ているようでした。

ただ、元気なのは猫ちゃんだけでした。
それでも、なんとかレトロな店を見つけて、少ないメニューの中から焼きそばを注文し空腹を満たしました。

そして傷心の思いで、もう帰ろうと決め帰りはバスでと思って、市の中心部のバスセンターへ、しかしここでも昔の賑わいはどこへやら、さびれた様子に悲しくなってしまいました。

そして、追い討ちをかけるように、時刻表を見るとわが町飯塚へのバスは1時間に1本の運行という有様です。

と言いつつも、しばしバスの車窓から眺める大河、遠賀川の周りの風景に心を奪われながら飯塚へ到着。
わが町飯塚でも旧家がいくつもあり、勝手にシャッターを押させてもらいました。

今回は、私の地元飯塚の周辺の街を紹介いたしました。

その昔、炭鉱華やかなりし頃の面影などまったくありません。
しかし、私が青春時代を謳歌した街です。
ここかしこに、懐かしい思い出がたくさん残っています。
都会のように日々刻々発展し、変化していくと懐かしい古きよき時代の面影が失われると思われます。

私の地元のように、衰退の一途をたどっているところは青春の思い出がたくさん残っています、存続、進歩、果たして何が良いのかいろいろ考えさせられる数日間でした。

それでは浦田劇場、又のお楽しみに!

失礼致しました。

ある日の浦田紘司の一日

一昨日は、15000歩歩きました。

昨日は、21000歩(約14キロ)歩きました。

そして今日は16000歩(約10キロ)歩きました。

今日は先ず、スタート地点まで40分ほどローカルなバスに乗って終点から出発です。

バスの車内は女性ばかり7~8人、男性は私一人ちょっとドキドキしました。
しかし、乗客の平均年齢は70歳前後(ヨッコラショ)と、乗るのも降りるのも時間がかかります。
ほとんどの女性(一昔前の娘さん)が膝が湾曲し歩くのが辛そうでした。

やっとの思いでバスに乗っても座席に腰を下ろすまで、バスは発車が出来ません。
田舎のバスが遅れる訳がよくわかりました。

そして終点に到着、バスを降りスタート地点を出発してしばらく上り坂を歩くと眼前に天城越えのような峠が現れました。

昼でも車などほとんど通りませんし、夜なんか怖くて一人では絶対に通れません。

もちろん、昼とはいえこんなところを一人で歩いている変わり者は私だけです。トンネルを抜けて振り返ると、背後から霊が呼んでるような気がしました。(冗談ですよ!)

しかし、よく見て欲しいのは、歩道がないのです。

人はどこを歩けばいいのでしょう?

でも心配ご無用、何故なら車はめったに来ないのですから・・・

トンネルを抜けて峠を下るわき道に自然薯のつるがたくさんありました。
今は、自然薯を葉っぱだけで見分ける人は少なくなってしまいました。
私が子供のころはこの時期、休みの日はいつも自然薯を掘りに山に入っていました。

この赤い実は何だかわかりません。
スコップがあれば天然の自然薯を2~3本掘って帰れるのになあと思いながら、つるに下がったムカゴを横目で見つつ、峠を下りると人口減の為H19年に閉校になった、福岡県立山田高校の校舎が目に入ってきました。

大きな歓声もなく誰もいない校舎はひときわ物悲しそうでした。

私が高校生の頃剣道の練習試合にしばしば訪れた学校であり、他校の女子生徒の制服がまぶしく見え、胸をときめかせたものでした。

あの頃の紅顔の美少年もいまや62歳、毛が抜け歯が抜け、抜けないのは疲れだけという年齢になってしまいました。

ふもとの町に到着、お昼を過ぎたので腹ごしらえと思ってもレストランなど気の利いたものなどありません、やっと見つけた一軒のレトロな食堂ののれんをくぐり、まずはビールでのどをうるおし(生ビールなどとんでもない、そんなしゃれたものはありません、もちろんビンビールです)、そして九州名物のチャンポンを注文し先ずは一口、これが思いもよらず美味!
そして、何と量の多いこと、もちろん普通サイズです。

味はというと、その辺のしゃれたレストランよりはるかにうまいのです。
みなさんご存知の長崎チャンポンとはちょっと違います。
これは、飯塚独特の味です。

そして何と、頼んでもないのに、ゆでたまごがサービスについているのです。
これで御代はビールの大瓶もいれて1260円、なんとリーズナブル。

ちなみにレトロなお店の屋号はカッパ屋だそうです。

ゆっくり飲んで、ゆっくり食べて店を後にして表に出ましたが、この道はれっきとした県道であり、おまけに土曜日にもかかわらず通りは車もいない、人もいない、なんとのどかな、風情でしょう。

そして、腹ごなしにこの田舎町をしばし散策し大昔、炭鉱華やかなりし頃全盛期だったであろう、歴史を感じさせる料亭旅館の玄関をちょっとのぞかしてもらいました。

せまい街なので、見るところもなくそろそろ帰途につこうと思って通りのお店の軒先にちょっと目をやると何と気の早い、もう正月のしめなわがと思いきや、よく見ると今年の正月のしめなわがいまだにぶらさがっておりました。

「翌日、たまたまTVをつけたら、三重県伊勢市近辺の家の玄関にまったく同じものが

ぶらさがっており、ここでは1年中さげているそうでした。ここの家人は伊勢で買ってこられ

たのか、伊勢出身なんでしょうか?」

さーそろそろ帰らなきゃー

バスの時刻表をご覧ください。
最終の早い事!
ここから、私の住む飯塚までバスで約1時間です。

今日の一日でした。

「○○が今年逝去致しましたので、新年のご挨拶は控えさせていただきます」

毎年、この時期になるとこのようなおハガキが届きます。

今日もある方から1通のハガキが届き、絶句いたしました。
「えーっ、あの人が、知らなかった」

「生者必滅会者定離」

限りある命、この世の無常というものがひしひしとこの身に伝わってきます。

昨日、裁判員裁判で初の死刑が確定しました。

被告は19歳です。
彼は19歳という若さで死刑という人生を選択してしまいました。

彼に何があったのか真実を知る由もありません。

「命」

私の周りでも生きたいと願いつつも「ガン」に侵され旅立ちをする人がおられます。
いくら、健康に留意していても、明日の事は誰にもわかりません。

「今を生きる」

だからこそ、今を一生懸命生きたいと思いつつ1日が過ぎていきます。

長いようで短い人生です。

人は人生の中で、たった一言の為に窮地に陥ることも多々あります。

「失言」「暴言」「放言」

国会の中でしょっちゅう見かけるシーンです。
こんな言葉を目にしました。

楽しかった思い出。

今日は、家を出て田舎道を15000歩、歩きました。
久しぶりに中学、高校時代の懐かしい通学路を歩きました。

朝は晴れていたのですが、途中から突然雨がふりだしたので、やむを得ずバスに乗りましたが、これが又田舎の事ゆえ旧役場前の本通りにも関わらず、1時間に2本というローカルバスです。

途中、先日みなさんと訪れた英彦山が遠くに顔を見せてくれました。
ほんの10日ほど前の事なのに楽しかった思い出が懐かしくさえ思われます。

春になったら又、一緒に参りましょう。

 

 

九州エネルギースポット探索研修会のご報告

11月13日~14日の2日間、九州のエネルギースポット探索研修会に行ってきました。

参加者は総勢47名、バスの定員は45名、2名の方は仕事の都合などでマイカーを使っての参加でバスは定員ピッタシの45名すべてうまくいくものです。

まず午前11時に博多駅に集合、そのまま福岡県添田町にある古くからの修験僧の修行の場として知られる英彦山(ひこさんと呼びます)へ、紅葉のシーズンとも重なりたくさんの人出でした。
ここは13年前に出版した拙著(意識エネルギーの世界)に写真を掲載した場所です。

そして、ここで充分に気を感じた後、今回のメインの神社へと移動、まず最初に出迎えてくれたのは首のない500羅漢達、みんなギョッと驚きながらも険しい石段を登って神社の本殿へ、ここが一番のスポットです。

ここのご神体はその昔空より落下してきた隕石との事です。

ここで全員しっかりと気を感じた後、写真のように鎖を伝って最もけわしい場所へ、ここから見下ろす下界の風景は圧巻でした。

そして、ちょっと場所を移すとそこには不思議なお堂があるのです。

みなさん鳥取県三朝町にある三徳山、三佛寺という寺に投げ入れ堂という有名なお堂があるのをご存知でしょうか。

実はその投げ入れ堂とそっくりのお堂があるのです(写真がそれです)。
実はもったいぶっているのではなく、みなさんにこの神社を紹介したいのですが、この神社は個人が管理しておられる模様なので私が勝手にネットで公表してよいものかわかりませんので、とりあえず所在地は福岡県のIW神社とだけ明記させていただきます。

いずれにしても大変強い気の場であることは間違いなさそうです。

そして、その後はお楽しみの温泉です。

今夜の宿は大分県日田市天ヶ瀬温泉の成天閣です。

ゆっくりと湯に使った後は、楽しい夕食です。

みんなでワイワイと盛り上がり、その後も二次会、三次会と夜の更けるまで話に花が咲きました。

翌日はまず、九州の観光地でも有名な湯布院です。
紅葉のシーズンでもあり、たくさんの人出が予想されるので早めに宿を出発し、込み合わないうちに街を散策し、そのまま一路福岡県甘木市秋月へ,ここも紅葉を楽しむ観光客で溢れていました。

ここにある神社の一本の大木が気を発しているのです。

ここでもみんなで木を取り囲み静かに気を感じてみました。
そして、気がつくと他の観光客も輪の中に入っていました。

そして、秋の行楽シーズンで渋滞を予想していたのですが、思いの外時間繰りがうまくいったので、最後のサプライズで大宰府天満宮にも案内する事ができました。

そして、ゆっくりと余裕をもってみなさんを博多駅、福岡空港にお送りする事ができました。

今回の旅もみなさんのご協力でアクシデントもなく大変楽しく思い出に残る旅になりました。

今回みなさんをご案内したエネルギースポットは40年ほど前から私が自らの足で探し求め足しげく通った気の場です。

今回ご参加のみなさんも何か得てくださったようです。

来春は今回都合で行けなかった人たちの為に再度実施しようかと考えているところです。

2日間の旅を駆け足で紹介させていただきました。

みなさんが気軽に教室をのぞいていただけるように、今月から一日体験の受講料を大幅に減額させていただきました。

エネルギースポットなど気に関する詳しい事を教室にお越しいただき気軽にお尋ねいただければと思います。

今日、九州に戻って参りましたが、暖かくて上着がいらないくらいでした。

それでは又。

ちょっと日常生活を!

今日、久しぶりに京都に戻ってまいりました。

博多発14時40分の新幹線に乗りました。

今日は博多駅の駅長に頼んで1号車を私だけの為に貸し切りにしてもらいました。
1両全部私だけの車両です。
こんな贅沢な事はありません。

よく写真を見てください。

二人掛け座席の真ん中辺の窓際に黒い物が下がっていますが、私のジャケットです。
1枚目は出発して、すぐの写真です。

2枚目は後部から写しましたが、ちょうどトンネルに入ったので窓は真っ暗です。

3枚目は小倉から、男性が1人乗ってきました。

えっ、ばれましたか。

失礼いたしました、貸し切りとは真っ赤なうそです。

平日の、この時間帯は新幹線といえどもいつもガラガラです。
私は毎回自由席なのですが、時間帯をうまく使えばグリーン車よりはるかに快適に目的地に着く事ができます。

もちろん、時間に追われるビジネスマンの皆さんは、そうはいきませんよね。

気の世界とはまったく無縁の書き込みでした。
失礼いたしました。

 

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