自信

前回のブログでヒステリー球の事を重複して記載してしまいました。

大変失礼いたしました!

さすがに、お盆を過ぎると暑さも和らいできました。

今夏の猛暑は過去最高だとテレビで報じていましたが、みなさんの体調は

いかがでしょうか?

長年、気の世界を追い求めてきましたが、数年前から気をコントロールしているのは

脳だと確信しました。

そして、その脳に影響を与えているのは心だという事も分かりました。

ですから、型や動作などとは、まったく別の世界であり滝行のような難行苦行とは

別次元の世界です。

人が成し得ない事を成し遂げるという事はもちろん、大変素晴らしい事ですが、これは

困難な事を成し遂げたという自己満足の世界であり、気を習得するという事とは

別世界の事です。

ですから、空の会では肉体の修行というものは存在しません。

では、どのような修行をするのかというと、己を認めるという修行をするのです。

しかし、これが最も困難な修行であり、よく自信を持てと言いますが、そんなに

簡単に自信を持てたら誰しも苦労しません。

人間はネガティブな思考がベースのようです。

成功を追い求めるより逃げ道を作った方が楽なような気がするみたいです。

自分を認め自分を信じる、そこから自信というものが生まれてくるのですが

そのためには、その裏付けになるものがなくてはいけません。

では、その裏付けとは何か?

それが、いつも言うところの実践なのです。

つまり場数です。

やってみたけど、失敗しましたという言葉をよく耳にします。

病に苦しんでいる人に気を送って改善されなかったら失敗したという表現を

されるのですが、それは失敗ではなく変化がないだけです。

つまり改善するか変わらないかのどちらかなのです。

気を送って今よりも症状が悪化したら失敗です。

しかし、気を送って症状が悪化するなどあり得ません。

ですから、まず失敗という概念を拭い去ることが重要であり必ずうまくいくんだという

強い信念を持つ事が最重要課題です。

気を送った後、どのような結果がでるか、それは相手の問題です。

つまり、腰痛がひどくて苦しんでいるから、その痛みをとって欲しいといわれ

一生懸命気を送っても何の変化がない場合それは単なる腰痛ではありません。

その腰痛の後ろに重篤な病が隠れているかもしれません。

例えば、内臓にガンを抱えている場合、腰痛という症状が現れます。

ですから、そういう場合いくら気を送っても腰の痛みが改善することはありません。

そのように大元に問題がなければ気を送ると必ず何らかの変化が現れます。

例えば椎間板ヘルニアなど気を送ると激痛がおこります。

長い人では10分、15分と痛みが激しさを増します。

その時に怖がってやめてしまうと、これは完璧に失敗です。

そこを怖がらずに、グッと我慢して気を送り続ければ必ずいい結果が出ます。

このような事も長年の経験から得てきます。

つまり、上達に必須なのは経験と場数です。

私は過去40年の間に良きにしろ悪しきにしろ、いろんな事例を体験してきました。

そして、障害と対峙した時も頼る人もなく全て自分の力で解決し、克服してきました。

だからこそ、その貴重な経験が達人を目指す皆さんの、お役に立てればと

節に願いつつ、自らも精進しているところです。

来月、又、期が変わります。

今までにも期が変わるたびに去っていく人がいますが、そのほとんどが無言で去って

いかれます。

もちろん、挨拶など思ってもいません。

時折、半年休みますとか、ちょっと休みますと言ってくる方がおられますが

その方が復活した例は過去に一例もありません。

ただ、過去に教室を通じてご縁が、あった方々が今、どうしてらっしゃるかなあ

元気で過ごしておられるかなあと時折懐かしい顔がふっと思い浮かびます。

そして、ご縁のあった方々が日々健やかに過ごされる事を願ってやみません。

今週は坂の街、尾道に行ってきました。

情報通り、坂、坂、坂でした。

長い石段を登る途中にたくさんの住宅がありますが、ひと気がなく朽ち果てた家屋も

たくさんありました。

今は高齢者が生活するのに困難を極めるので、山手の住宅は空き家が増え続けていると

街の人が言ってました。

でも、港を見下ろす高台にはロープウエイがあるので風光明媚な風景を堪能するには

絶好の場所でありました。

でも絶対に住めないと思いました。

 しかし、昭和の匂いを感じさせる商店街にはレトロな商店がいくつもあり昭和に

タイムスリップしたような懐かしさを感じさせてくれる商店街でした。

頭の中に入り込むという事

今年は例年になく猛暑の夏でした。

我々が子供のころは、いくら暑くても清々しい暑さでした。

でも、最近の暑さは何かが違います。

50年後、100年後はどうなるのでしょう?

もちろん、そのころ私は、その季節を体感することは出来ません。

先月、ある若夫婦と出会いました。

奥さんが、現在うつ病で苦しんでいて、どこの病院に行っても治らず

困っていると、ご主人が打ち明けてくれました。

3年前に奥さんのお父さんが亡くなって以来、うつ病になり職場でも

以前あれほど明るかった奥さんの身を案じ同僚達が心配しているとの

事でした。

特に自覚症状として、喉に飴玉のような異物を感じ嚥下が出来ず、苦しくて

たまらないという事でした。

医者では、これをヒステリック球と診断されたそうです。

例によって数分、奥さんの話を聞きました。

そして、その後いつものように彼女の頭の中に入って行きヒステリック球の

スイッチをオフにしました。

その後、例によって号泣が始まりました。

号泣がおさまった後『先生あの飴玉はどこにいったのですか?』と

不思議でたまらないという表情で帰って行きました。

頭の中に入り込む!

皆さんも果敢にチャレンジしておられますが、中々至難の業のようです。

これが習得出来れば気の世界も大きく変化し裾野が広がります。

先月福岡教室で、ある方が、これを実践し、うまく名前を取る事が出来て

喜んだのですが、名前を元に戻す事が出来なくなり、困惑の表情で

固まってしまいました。

いつも言うように名前が元に戻って終了ですから、元に戻せないというのは

大変な事なのです。

結局、最後は私が元に戻しましたが、これでは意識不明の方を目覚めさせないのと

同じで大変な事です。

相手の脳の中に入っていくという事は、感動の結果を生むと同時に大きな

リスクを背負うのです。

では、リスクを恐れてやめてしまえば感動という、美味しい果実を味わう事は

できません。

その為には私が教室で行う実践を真剣に見て吸収する事です。

一挙手一投足を穴があくほど見る事です。

私が実践している間、世間話などしていてはほど遠いです。

自発動は一定の期間続いたら止まるものなのです。

その後に、一気に気のレベルが上がります。

その後は内臓の自発動です。

これからは、そこにシフトします。

時々、空の会の生徒ではない方から気についての質問を受ける事がありますが

お断りします。

私は、ここに到達するまでに40年の歳月を費やしました。

今、知的財産の話がよく出ますが、情報と知識は財産なのです。

その財産を、ただで与える訳にはいきません。

この世に、ただはありません。

ですからフェイスブックなどやりません。

無料の質問攻めにあうこと間違いなしです。

さて明日は京都教室です。

内臓の自発動、やってみましょう!

写真は、私が僧侶として在籍している、滋賀県のお寺です。

昨日、ちょっと顔を出してみました。

 

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